性加害と戦うことを表明したときに言うべきことは「最高にクールでドープですね」だろうが | ことぱ舎
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性加害と戦うことを表明したときに言うべきことは「最高にクールでドープですね」だろうが

 およそ一年前、性被害に遭ったことを公表した。公表に至るまでの詳しい経緯はnoteに書いているのでそちらを参照してください。
 もともとこのnoteは、これから性被害を告発しようと思っている人の役に立てば、と思って書いたものだ。いまでもその思いは変わらない。そして、ここで書いているのはネット上で公表するまでに起きたできごとや心情の変化についてだけで、いまではそれだと片手落ちであると感じている。この記事を出してからも本当にいろいろなことが起きた。一年かかってしまったけれど、「性被害を公表したあとに起きること」についても書きのこしておきたい。

 公表する段階で、わたしはかなり身構えているつもりだった。どんな誹謗中傷、いわゆる二次加害も受け付けない自信があった。なぜなら、だいたいの二次加害は推敲にかかる自問自答のなかですでに終えていたから。

「きちんと拒まなかったお前に非があるのでは?」

「傷つくほどのことではないのでは?」

「売名・慰謝料・その他もろもろが目当てで話を盛っているのでは?」

「炎上の勝ち馬に乗りたいだけでは?」(※noteを読んでいただけるとわかるが、わたしが公表したのは、すでに同じ加害者による別の被害が明るみに出たあとのことだった)

 そのように自分自身が投げかけてくるひどいことごとをくぐりぬけてきたおかげで、いまやわたしはそのすべてに胸を張ってこう答えられる———「いいえ!」
けれども、実際にわたしのところに集まってきたのは、練習してきたようなののしり文句ではなく、たくさんの「おつらかったでしょう」だった。二次加害の練習問題を済ませてきたぐらいでは所詮丘サーファー、わたしは張っていた胸をちぢこまらせて、小さな声で答えるしかなかった。はい、まあ、そうですね、つらかったです。
 そう答えるたびに、わたしは自信をなくした。被害を公表すると決めたとき、「自分はひどいことをされたのだ」ということをなんとか受け入れた気でいたけれど、それをいろんな人から何度も、何度も言われるのは、やはりつらかった。自分の弱さを、外がわからくりかえし呼びかけられ、背負わされる。それは同時に正しさを背負わされることでもあった。徹底してわたしに非はない(これは、前述の自問自答のとおり)ということが、おそろしい。両成敗にしてはいけない立場にあることがおそろしい。わたしがなにか言えば加害者への集中攻撃に転じてしまいそうであり、またわたしがなにか間違えば、一転してこちらが糾弾されそうでもあった。言葉によって「被害者である」という立場へ追い込まれていくことは、わたしにとっては身動きを封じられるような強い恐怖になった。
 わたしは、あくまで自分の戦いをひとりで戦いながら、別のところでひとりで戦わざるをえない性被害者たちへのはなむけとして公表をしたつもりだった。けれども、ともすると、わたしひとりのものだったはずの戦いが「みんなの戦い」のほうへ引き込まれそうになる。「みんなの戦い」は時にそれ自体暴力的で、わたしの望んだことではない。連帯することと、袋叩きにすることとは違う。みんなの尊厳のために個別の戦いを戦うことと、個別の戦いを「みんなの戦い」へ読み替えることとは違う。「おつらかったでしょう」といわれるたび、わたしはくちびるをぐっと噛んでこらえる必要があった。自分自身、被害者という立場の無反省な正しさにおもねそうになるのを、強くいましめなければいけなかった。

 それから、「おつらかったでしょう」よりさらにイヤだったのが、「なにかあったら話聞くよ」だった。これも何件も届いた。わたし自身の偏見がこもっていないか慎重に検分しながら述べるが、そう言ってくるのはかならず男性で、そしてかならず公開コメントではなく非公開の個別メッセージだった。親密な男性ならまだわかる。そうではなくて、何年も連絡をとりあっていないような男性から、突然「久しぶり! 大変だったんだね。俺でよければいつでも話聞くよ!」と来る。こちらからしてみれば、俺でいいわけないだろ! である。プライベートどころか仕事の相談すらそんなにしたことがない異性に、いきなり性被害について話すわけないだろ!
 全員が全員そこから悪意を持って二次加害を……とまで決めつけるつもりはないにしても、とにかくその鈍さには辟易させられた。親しい友だちに、「わたしはサポーターがほしいのに、みんな前のめりでベンチに入ろうとしてくる」とこぼしては、まあまあ、となぐさめられた。
 そうして、なぜ人は知り合いが性被害を公表したときに「いつでも話聞くよ!」という個別メッセージを送りたくなってしまうのか、ということについて、考えざるをえなくなった。
 ある同年代の男性からは、「いつでも話聞くよ」を通り越して、「どんな言葉をかければあなたの気持ちが安らぐかわからないし、何かを書いたら安らぐと思うこと自体傲慢と感じる。こんなことを書いても免罪符にはならないと思うけど、この件に自分なりに向き合っていきたい」というようなメッセージが来た。いうまでもなく彼は加害者本人ではなく、(少なくともわたしに対しては)過去に性加害をしてきたわけではない。わたしに対してなにかしてやりたいらしいのはどうにか伝わってくるけれど、それがなぜなのか、そしてなにをしてくれるのかはまったくわからない……。しばし困惑したが、何通かメッセージをやりとりするうちにわかってきたのは、彼がわたしの性被害を知ったことでひどく動揺し、それをわたしへのメッセージにぶつけているらしいことだった。
 わたしからは、以下のように返信した。

まず、気にかけてくれたことはすごくありがたいと思っていることを伝えておきます。
何かしたいと思う反面ですごく無力感を感じるんだろうし、なにか罪悪感のようなものさえあるように見えます。そういう状態はしんどいから、ためらいつつも言葉にして外に出してしまいたくなるのもよくわかります。
よくわかる一方で、被害者の目線としては、当然◯◯くんから何かされたとは思っていません。◯◯くんに対して怒る気持ちもないし、◯◯くんが義務のようにわたしに対して何かしなければいけないとは感じません。
少なくとも、わたしに対して◯◯くんのしんどさを伝えてもらっても、◯◯くんがしんどいのは本当によくわかるけれども、そのしんどさは立場的にわたしにケアできるものではないかも……ぐらいのことしか言えません。
性加害と戦う立場でありたいという気持ちに共感します。お互いしんどいところですが、がんばりましょうね。

 心配してくれた相手に対してちょっとイヤなやつすぎるだろうか、と悩みもしたけれど、このときはこう言わざるをえなかった。彼とのやりとりを通じて、どこかウェットなメッセージを送ってくる男性たちに対しても、ある仮説が立った。男性のうち一部の人たちは、身近で起きた性被害を見ると、無力感がそうさせるのか、はたまた男性としての社会的アイデンティティとの不和がそうさせるのかわからないが、自分が責められているように居心地悪く感じるのかもしれない。そして、その罪悪感から逃れるために、急いでこのかわいそうな被害者に何かしてやらないといけないような気分になるのかもしれない(◯◯くんは後日、このメッセージのやりとりをわたしがこのように明かすことに快諾してくれた)。
 これも念のため述べておくと、ほかの男性たちからのウェットでない連帯は本当にありがたかった。それはわたしへの個別メッセージではなく、SNS上でのわたしの記事のシェアや、noteへの金銭的なサポートによって行われた。実利がどうこうというよりも、他者であるわたしとの関係を踏まえた上での適切な距離感をまず考えてくれ、その中でできる支援をしてくれた、ということがうれしかった。まさにそのような距離感こそ、そのときのわたしが飢えていたひとりの人間としての尊重そのものであって、だから新鮮な栄養のようにうれしく感じられた(そう自覚できたのはあとになってからのことだった)。
 もちろん、多くの女性とわずかな男性からの「尊敬します!」「かっこいいです!」「応援するよ!」という表明も、とてもよいものだった。「つらかったでしょう」「話聞くよ」とはぜんぜん違う。そういった言葉は、わたしが「かわいそうで、弱い被害者」ではなく、「被害を受けて行動したいち個人」であることを強く支えてくれた。また、男性たちの一部がなんだか意気消沈していたのとは対照的に、女性たちの一部はどこか上気していた。敬愛する年上の女性は「終わったらお祝いにケーキ食べに行きましょうね🌹」と絵文字つきのLINEをくれ、その不思議なハレの空気も、わたしには助けになった。

↑当時のツイート

 そのあと生活が元の調子に戻るまでには半年ほど、こうして書く気が起きるまで一年がかかった。外がわからの被害者扱いによってしおれていく自尊心と、自分で自分を奮い立たせるようなハイな状態とを往復し、つねに少しずつリソースを奪われつづけていた。家族や親しい友人、仕事関係の仲間は、ありがたいことになんら変わらずに接してくれ、それを頼みにしてゆっくり元へ戻っていくような感覚だった。とにかく「性被害者」でない自分を生きる時間を少しずつ増やしていくほかなかった。
 いくつかのメディアからは取材の依頼も来たが、わたしは依頼を受けることができなかった。はじめ、一度公表してしまったら怖いものなし、という状態だったのでどの依頼も受けるつもりでやりとりしていたが、そのうちのひとりのフリーライターの男性から、午後十時から・個室のレンタルスペースで・二人きりでの取材を提案された。それも、こちらが確認する前にいきなり「スペースを予約しました」とメッセージが来た。あわてて断ると「午前十時の間違いでした」と謝罪されたが到底受ける気になれず、それがきっかけで他の媒体からの取材もみんな受けたくなくなってしまった。これに関してはいまでも釈然としない気持ちでいる。

 正直に言えば、告発してから何度かは「告発しないほうが楽だったかもしれない」と思った。けれども、性被害に遭って告発するか悩んでいるという友人の相談に乗れたり、加害者が関わっていたメディアに掲載された自分の記事を晴れ晴れと読めるようになったり、ときどき、告発することに決めた自分を褒めたくなる瞬間が確かに訪れる。性被害をなくすための告発で被害者のほうがさらにしんどい思いをしなければいけない、というのにはやはり納得がいかないけれど、それでも告発してよかったと思っている。
 というより、あのとき告発しない道を選ぶ自分のことは、もはや想像できない。いまの自分が自分であるということを、「自分は自分や女性の尊厳のために行動したのだ」ということが、底で支えているように思う。先に述べた、「性被害者でない自分を生きる」ことと、「性加害と戦ったことに存在を支えられている」こととは矛盾しない。むしろ、「性被害者ではない自分を生きる」ことを本当の意味でするために、わたしにとってはそのプロセスが必要だった。

 いまあらためて、一年前の記事と同じ結びを。
 性加害と戦う方々に心からの尊敬を表明すると同時に、被害を受けたすべての方の尊厳が守られることを切に望みます。